おしんこ盛り合わせのサラダボウル

中国を愛しすぎてる日本語教師おしんこが異文化で奮闘するブログ

メンヘラポエム殴り書き

【※メンヘラポエム殴り書き】
わたしは、まごうことなきメンヘラで、ブログには「元」とつけてあるけれど、本当は全然治ってない。
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一番、精神病が重かった2014年春頃、食事一回に対してこの量の薬を飲んでいた。
何かあるとすぐに自殺未遂。
生きている意味のない人間だ、死んだらみんな喜んでくれるんだ、と、本気で信じていた。
一日パキシル25mg。精神病業界では、入院しなくていい程度の患者のうち、中間から少し重い程度だと思う。

この先は、去る東京に対する思慕の念と、苦しんで来た精神病に対する怒りと悲しみが書いてある。

誰かに、読んでもらおうと考えて書いた文章じゃない。
24にもなってそんなもん公にするなよって感じだがどこかに、「誰かにわかってもらいたい」という気持ちがあるのは否定しない。
誰に相談したらいいかわからない。出口のないただの独り言だ。

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ロッカー、からっぽ。

中国ビザの関係で東京滞在を延期しようとしたけれど、親の希望を受けて、やっぱり北海道に戻ることにした。
札幌にも領事館はあるし、最悪東京にビザ申請のためだけに戻ってもいいとまで言われたので。

東京にいた6年。
大学生活の4年。
元彼と過ごした4年…。

北海道で暮らした18年より、ずっと大きなものが、この6年にはあった。
辛く悲しいことがたくさんあった。
揉め事もあったし、恋愛もしたし、病気もわかったし、自分が殺したもののことも。自殺に失敗したことも。

いっぱいいっぱい傷ついた。
でも楽しいこともあった…。
今、アルバムを見返して、楽しげな写真が結構出て来て、泣きそう、いや、泣いてる。
もちろんすでに過去なのは、間違いないけど。もし東京に戻ってくることができなくなったとしても、絶対に忘れることはない。できない。

わからない、ううん、いつもの帰省と同じふうにしていればいいの。

少し荷物が多いだけ、少し手続きが必要なだけ。

地元を出るときに、ほとんど全てのものを、焼き払うようにして出て来た。親との関係も険悪だった。まぁ、幼い頃から、出来ないことを要求され続けていたから、当然といえば当然だ。今は、多少の理解を得ている、と、思う。
それにそもそも、高校の人間関係とかは、私の頭がおかしかったせいでずいぶん前に壊れていたから、焼くまでもなかったが。
地元には何も残ってない。

高校に進学するときも、知り合いの少ない学区外を選んだ。大学も北海道の大学は受けもしなかった。そして次の逃げ場は。
わたしは一生こうして逃げ場を探して生きてくんだろうか…。

中国に行くことを決めたのは自分だ。
中国なら日本よりは生きやすいかと思ってる、今も、期待はしてる。
けど直前になってやっぱり日本を離れるのが怖くなっている自分がいる。3年前、3ヶ月中国に行くときも結構荒れたので、まぁ当然そんなもんなわけだけど。

ADHDは、一生治らないし、一生健常者並みにはならない。
多分仕事は…それでも自分でやりたいことを選んだつもりだから、うまくできるといいけれど。
多分結婚もできないし、子どもも遺伝するから産まない方が子どものためだという。子ども好きだし、欲しかった。産みたかったな。

そんなふうにいろんなことを諦めているけれど、それでも生きていくしかないと、今は思う。一応五体満足だし、体力はないけど幸い身体の方の病気はまだあまりない。

人生は苦しい。長い。

生きているのはつらい。

死にたくなったときは大叔父のことを思い出す。
大好きだった大叔父。親戚の中でも一番強く、優しかった大叔父は、ガンが見つかって3ヶ月で逝ってしまった。
まだそっちに行くわけにはいきません。

まあ首吊ろうとしたりガス発生させようとしたり漂白剤飲んだときあったけど。
命の重さにはなかなか耐えかねる、失ったものの大きさを考えると。寂しいよ、こっちに来てほしいよと、誘う声もあるから。

今はなんとか。大丈夫。

鬱も日々、悪くなったり良くなったりの繰り返しだ。
ここ最近はずっと家に引きこもっていて、日々、悪くなっている。
実家に帰ることになった要因の大きな一つだ。

日々の生活の安定がなければ、精神の安定は築けない。
忌々しい実家に帰る。でもそこはきっと居心地のいい我が家なんだろう。

帰るんだ。
焼け野原にまた少しずつ種を植えて行こう。