わたしの心の中の抗日戦争
中国に来てはじめて、本格的に不快なことに出くわしました。
今日の話は、いつものようなノリではありません。
事の発端は外国語学院における寄稿文集づくりか何かの話。
そのテーマは、「The history of Resistance against Japan in my heart〜わたしの心の中の抗日戦争〜」
というもの。
どこがSmile together なんじゃボケ!
うちの外国語学院は英語科と日本語科しかないのに、さすがに配慮がないんじゃないかという話は、これが発表されたとき(10月半ばごろ)からずっとありました。
個人的には抗日ドラマとか楽しく見る方だし、日本人がアメリカに原爆落とされたことほぼ気にしてないこととか逆にすごいと思うくらいなので、
意味もなく、日本人ってだけで「バカヤロー」と言われたこととか、二回くらいあるけど、
風当たりの強さとかそんな気にしてなくて、仕方ないよね〜そんな簡単に忘れないよね〜と思ってるんですけど。
ちなみに先輩の先生は中国人の奥さんをもらってて中国に住んでるんで、推して図るべし。
それでも、さすがにね。
外国語学院でしかも二言語しかないからさ。
日本人外教はともかくとして、日本語好きで、日本文化好きで来てる子もいるわけじゃん。
正直すぎるだろ。笑
んでまぁ、学生の多くはボイコットするっていうし、「ああ、Smile togetherね!あの、『日本語学科の子は全然スマイルできないやつね!』」と物笑のタネにしてたんですけど。
今日ね〜〜。寄稿する学生の作文添削、来たのよね。。
「は?」って感じよね。
それでも、わたしに添削を依頼するか?ふつう?
厚顔無恥というか。
愚かすぎるだろ。
中には、「いかに日本軍が非道なことをしたか」ということを語っている学生もいた。
気分が悪くなる。
わたしに読ませてどうするつもりなんだろう?
仕事ですから、文法のチェックとかはもちろんやりますけど、
じゃあわたしが、「南京大虐殺はなかった。書き直し」と言ったら、彼らは書き直すのか?
親しくしていた学生もいて、非常に残念なことだし、その学生を見る目が変わってしまうのではないかと自分自身も怖い。
*
言語を学ぶことは、特に英語やフランス語の国際語ではない土着語を学ぶことは文化を学ぶこととも密接に関係している。
だから土着語を学ぶことは、自分の知らない文化がある(欧米のものではなく)ということを教えてくれるという意味で非常に意味のあること。
世界を広げてくれる、視野を広げてくれると思ってる。
だからこそ、中国の教育を受けてきた学生たちが、上手な日本語を使えるにもかかわらず、未だに中国のみの歴史観から抜け出せていない状況を非常に歯がゆく思う。
個人的な話なんだけど、2002年北朝鮮問題があって、「北朝鮮では世界四大文明に『朝鮮文明』を加えて世界五大文明を教えている」という報道があったとき、小学生だった自分は、「日本はそのことを笑うけれど、たとえば『日本人の味覚は世界一敏感だ』とか、自分の民族をいいように教えていることがあるはずで、ないとは言い切れないではないか。なぜ北朝鮮を笑えるのか」と訴えて先生を困らせたことがあった。
面倒臭い子供だったというエピソードでTwitterとかでも笑い話にしたことがあるし、日本人にとっても実際そういう問題はあるんだけど、
でも、学生はいまだそこから出られていない。自分の国の歴史が間違っているかもなんて疑いもしない。
とても悲しい。
中国に来て一番悲しい出来事だった。
こんなことはもう起こって欲しくない。