おしんこ盛り合わせのサラダボウル

中国を愛しすぎてる日本語教師おしんこが異文化で奮闘するブログ

語学を愛せよ、されば語学教師たるらん

こんばんはおしんこです。昨日も書いたとおりここ数日は鬱です。日照時間が短いからかな。

まず中国にもしみなさんが旅行をするならとても使う回数の多そうな言葉。

听不懂(ティンブドン)…(聞いて)わからない、理解できない

うっとおしい客引きを追い払うのによく使えます。発音もなんか中国語ぽくないし覚えやすいかも。

听懂(ティンドン)と書けば、もちろん、「聞いてわかる」の意味。

問題はここから。


听得懂(ティンダドン)…(聞いて)よく理解できる


???

来たばかりの頃、実際にあった話。学生A・Bとご飯を食べていたときのこと。
わたし「中国語勉強しました、わたしの前で悪いことばを言ったらわかります(自慢げ)」
学生A「なるほど。(学生Bに)老师说她听不懂(先生は中国語わからないって言ってる)」
わたし「……ちょっと待って?」

「老师说她听得懂(先生は結構中国語わかるって言ってる)」の聞き間違いでした。
「中国語わかります(ドヤ)」した直後に中国語わからないことがバレると言う非常に後味の悪い結果になりました。 

そのころは、「ティン」と「ドン」の間に「何か」が入っていたら、それは「不」しかありえない、と思っていました。

得というものの存在は知っていたけど、実際使えるようになったのは割と最近…。


*語学を学ぶことの意義

苦しみながら覚えたものはなかなか忘れない。

学生に語学を教えてるわけで、正直ネイティブだとその苦労がすべてはわかってあげられない。なら自分も学べばいい。語学を。
「なんでできないの?」という言葉は、苦労したことのない人のもの。
「r」と「l」の発音の区別ができなくてバカにされていやな思いをした経験があれば、「な」と「ら」の区別がわからない学生の気持ちがわかるはずでしょ。
語学全般を好きな気持ちがまったくない人は、やはり母語であっても教えるべきじゃないと思う。
「あなたの苦しみはわからないが、『苦しい』ということはわかる」べきだと。
『苦しい』ことすらわからないようではお話にならない。
『苦しい』ことすらわからないのはすなわち子供であるし、苦しんでいる人たちに対して、「パンがなければお菓子を食べればいい」と言えちゃう非道。
若い人の中で、人生に達観しているように見える人は、だいたい苦しみなんてよく知らない人。
話が逸れた。

また抗日戦争の話のときも書いたけど、語学を学ぶことの意義は世界を広げてくれるということが大きい。

言いたいこと、たくさん、ある。けど。

語学を愛せよ、されば語学教師たるらん。