おしんこ盛り合わせのサラダボウル

中国を愛しすぎてる日本語教師おしんこが異文化で奮闘するブログ

「英語を忘れた」は言い訳か?

鬱状態で眠れない日が続いていて、昨日とおとといは知らぬ間に寝ていました。。
今日は更新を忘れないように起きているときに更新します笑


日本語学科の学生が、「英語はもう忘れました」ということは結構多いです。

わたしは(実は)ずっと、内心「英語の方が使用頻度が高いんだし、忘れるってことはないでしょう。言い訳かな?」と思っていました。

でも最近自分がかなり英語を忘れていることに気付いて愕然としています。(まぁもともと、ペラペラではないけどさ…。)

例えば「altitude」という英単語。標高、海抜、高度くらいの意味です。
個人的に標高の比較的高いところを旅行することが多くて(チベットや南米)、altitudeは絶対に忘れることがありませんでした。
「今高度どのくらい?」というのは結構使いますし、飛行機の中でも、「ただいま高度◯千メートルを飛行中です」とか、しょっちゅう聞きましたし。

でも、授業で「高度」という単語をやったとき、雑談風に、heightではなくaltitudeの感じだと伝えたかったのですが、思い出せず、
「英語で言えば、あの、……あれ?あのaから始まる…あれ?なんだっけ?」というような状態に陥ってしまいました。
休憩中に慌てて調べた。
この事件はわたしにとってかなりショックでした。

忘れるんだ…英語って…。海外に住んでるのに……。

中国語がうまくなるにつれて、英語を忘れている自分がいました。

確かにわたしにとって「海外」とはほぼ「中国」で、中国語が話せればわたしにとって問題は少ないです。(アングロサクソン系の人や、英語ネイティブと話すのは今だに怖いし…)。今までも、「英語は国際語だから道具でしかないが、土着語を覚えることは全く違う意義がある」と書いてきました。

でも…。英語を忘れること…。それは違う。英語ができるからこそ、次の言語を学べる、というものではないのかな。
だって、もしわたしが英語を話せなければ、中国には来ていないし、中国人の友達もできていないし、国際関係の研究室にも入らなかった。
英語がそこそこできるということは、一時期確かに、わたしのアイデンティティでした。卒業論文の発表、英語でやったし。そんなことしたのは、学年でわたしだけだったし。

もしそれがなくなったら、英語が中国語に変わるだけだとしても、交流できる人は変わるわけです。
なにより、「おしんこさんは英語ができない」と言われたらほんとに立ち直れないくらいのショックだ……。
わたしが13歳からの9年くらい心血を注ぎ込んだものってなんだったのってことになっちゃう…。

というわけで英語を勉強しています……。

(。-_-。)

つらたん。



そういえば、囲碁ができる学生がいて、ぜひやりたいというのでやりました。
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うん。この写真、何も伝わらないね。

おしんこが最初黒をもっていて、学生の白を全滅させそうだったので途中で色を交換した。

…。
たぶん彼女は囲碁が「できない」。

ちなみにルールはほとんど同じです。
「二目あれば生きる」とか、囲碁についてすこし説明しました。

「先生は語学もできるし、囲碁もできる、日本の人はみんな知識が豊富なんですか?」と聞かれて、

「あなたたちがわたしと同じ、25歳くらいになればもっとたくさんのことができますよ」と答えた。(先週、将棋でほかの学生に惨敗したこと、今回の学生たちは知る由もないから…。)

ADHDだから、多くのことができないんです、なんて、説明しなくてもいいことだしね。

…。

(暗黒微笑)……。


はい、そんなわけで今日はこのへんで。


今週末はN1試験がある!みんながんばってね!

では!