「戦争は女の顔をしていない」を読みました。
おひさしぶりです、おしんこです。
カオスな夢(しかもどうしようもない悪夢)の話をした後にすこし更新が途切れましたけど、大丈夫です、精神病んでないです、元気です。
今週は授業開始一週目だったので…チョット…忙しかった…。
夢の話をした日曜日は、昼3時に起きたりしていまして(過眠で金縛りになるらしい)、翌日は朝八時からの授業だったんですよね…。
昼3時に起きてるから、深夜0時にはとても眠れず、結局完全徹夜した。
こういうのいけないってわかってるんですけどね…。
月曜の授業は八時からだけど、火水木は14時半-18時の授業なもので、それもまた、夜型生活リズムに誘導されてる…。おしんこが勝手にされてるだけだけど…。
うーんなんか。
一週目を終えて、あんまり手ごたえがなくて、ちょっと悶々としています。
とくに二年生。二年生の授業持つのは初めてなんだ。今まで同僚の先生が担当してたから。
おしんこの授業、もしかしてよくないのかな…。心配…。
もう少しやってみないと、わかんないかな。
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そういえば2015年ノーベル文学賞をとったスヴェトラーナ・アレクシエーヴィチの「戦争は女の顔をしていない」を読み終わりました。
昔読んだと思って、「わーい!わたしの読んだことある作家がノーベル賞をとったー」と思ってたけど、改めて開いてみたら積ん読してただけで、実際には読んでなかった。
こんっっな衝撃的な本忘れるわけがないもん。
夢の中で、戦争関係のものを見ることが多かったからかな。
父に、「戦争の夢をよく見るって、そういう本とかゲームとかやりこんでないですか?」って聞かれたんだけど、それとは逆で、夢で見たから興味が出た、みたいな感じ。
艦これは昔やってたけど、ゲーム関係は今、アイドルの音ゲーにハマってるから…(なんとなく、アイドルの音ゲーにはまってると言うの、チョット恥ずかしい)、夢に影響はないと思う(笑)
二次大戦の時、ソ連は女性も(最)前線に出していて、衛生兵とか看護師とかだけではなく、普通に狙撃兵とかもいたみたい。この本は、その元従軍兵(全員女)が戦争のことを語る、その記録。筆者であるアレクシエーヴィチは作家というか記者みたいな立ち位置。
本文から少し引用、「戦争のことを聞いただけで、それを考えただけでむかつくような、そんな本が書けたら。戦争のことを考えることさえぞっとするような、そういう本を。」アレクシエーヴィチさん、あなたはその試みに成功しているよ。
「戦争のことを考えることさえぞっとするような」、という言葉(の意味)として、この本の中には、当然グロテスクな話もあるけど、それは本質じゃない。
女だし、ほとんどの場合、強く志願して従軍した人たち。下着が替えられなくて…化粧にあこがれて…という女性らしい話もある。
従軍中の片思いとかもあるし、衛生兵として、砲弾が飛び交う中負傷者を引っ張ってきたりする話もある。男より任務をしっかりこなせたという話とか。
なんかもうどうしようもなくやるせない話もかなり多い、海で攻撃にあい、やっとの思いで負傷者を連れ帰った、と思ったらそれは死んだシャチだった、という話とか…。
負傷した兵士が自分を故郷の恋人だと思って「キスしてくれ、出征するとき、きみにさよならが言えなかった」と言ってきて、キスすると兵士は死んでしまった、という話とか。
この本を読んだ後、戦争のことが「人間の顔を持つように」見えてきた。このタイとトルはすごいな。
日本人の書いた戦争の本も読んだことあるけど、ちょっと違うね。
ひとつには、それはわたしが日本人だからかもしれない。日本人の言葉の入り方と外国人の言葉は、たとえすばらしい翻訳がしてあっても入り方は違うし。
とくにソ連は日本にとって敵国だったわけだし(ソ連は主にドイツと戦ってたけど)。
あるいはこの本が、「女の戦争」についての本だからかもしれない。
それは、「男が語る戦争」とは明らかに異質のもの。戦後、勲章とかを誇れた女性はほとんどいなかったみたい。
性差別をやめようって話は最近よくあるけど、良くも悪くも、男と女の違いはあるよ。それは間違いなく。当時あるいは現代の社会的待遇、立場はもちろんだけど、物事の感じ方はきっとはっきり違うんだろうな。体の構造が明確に違うんだから、脳の構造に明確な違いがあっても全然おかしいことはないよ。
「女の戦争」と言えば日本では、夫が帰るまで、疎開したりして…という話だけど、この本は前線の話だしね。
うん、一読の価値ありだな。もうほんと二度と戦争の話は聞きたくない気分になった。
こんなもん悪夢でしかないわ。
このもともとのアレクシエーヴィチ女史のウクライナ語の作品もきっと素晴らしいんだろうけど、日本語に翻訳した方(かた)がすごい、という気がする。どこがすごいとか、うまく言えないんだけど。非常によみやすかった。
でもこの翻訳版を書いた三浦みどり女史は2012年に亡くなっているそうで、
あぁっせめてあと3年、2015年まで生きていれば…あなたの訳した本はノーベル文学賞をとりますよ…と…。
切ない…。
ソ連と敵対していた日本人のわたしが戦後70年経ってこういう本を読んでいる…。
時間よ、ありがとう。という気分。
さあ、これからまた来週の計画を練らないと。