おしんこ盛り合わせのサラダボウル

中国を愛しすぎてる日本語教師おしんこが異文化で奮闘するブログ

文を書くこと

お久しぶりです(大声)

久しぶりの更新です。

この二週間本当に忙しかった!心が死ぬと書いて忙しい。まさしくそんな感じです。

 

心が死んでた。完全に。

 

今学期から担当にすることになった作文の授業が思いのほか大変だったこともあるし、

日本から送ってもらった本も読まなきゃならない、英語や中国語の勉強も、

最近通いはじめたジムも、あああっ!となった結果、一時本当に何もできないような状態になっていました。

 

日本から送ってもらった本とかね、仕事とかほかの予定が結構押してるのに(しかも中国の古典文学とかだからスピード感のある展開とかもないんだけど)なぜか手が止まらなくて、読み続けてしまう。ページをめくりながら、「時間押してるのに!まだ明日の準備終わってないのに!」と焦っているのに。

一種の逃避行動ですよ。

我ながらその「読まなければ」っていう強迫観念が怖かったね。

それでそんな中いろいろなことがあり、徐々にインターネットしたり部屋の片づけしたりもできるようになって、満を持してのブログ更新だ!!

 

まあ、それは置いといて、作文の授業本っ当に大変なんですね…。

日本語の間違いはいいんですよ。当たり前だけど。日本語教師だから。

問題は、日本語以外の間違いっていうか、論理性。

自分が二十歳の時、どんな文章を書いていたか覚えていませんが、多分期末レポートとかひどいものだったんだと思います。

二十歳って意外と、まだ子供だよね。

 

「自然保護はなぜ必要か」というテーマで作文を書いてもらったんです。

そしたら「自然保護は必要だからです」とか。

または、「木を切ったら木が減るからです」というようなのとか。

当たり前ですね…って感じがする。

 

「自分は二十歳の時もっとしっかりとした文が書けた」なんてことは言わないけど、やっぱり、読んでると(しかも全部で30人以上)、頭痛がしてくる。教師として、残念であり、申し訳ない気持ちもあるけれど。

多分論理的な思考能力が中国語でもしっかりしていない上に、外国語を使うとなると一度読み返したくらいでは間違いがすぐにはわからないから、問題が解決されないまま積み重ねられてしまうんだろうなぁ。

作文を返却するとき、学生に説明したらみんな苦笑いしていました。説明されるとその論理の破たんっぷりがわかるもんだよね、自分で書いてるときはわからないもんですよ。

自分が二十歳の時の期末レポートも、日本語ですら怪しかった(特に専門用語とか)のに、もし英語で提出しろと言われていたらきっとこんな感じだったんだろうなと思う。

教授、すみませんでした。

 

でも不思議なことがある。日本語の能力が低い学生で、日本語の作文がめちゃくちゃでも、「この子は多分、中国語で書かせればしっかりとした文が書ける子なんだろう」ってのが、なんとなくわかる。どうしてそれがわかるかは、うまく言葉で説明できないんだけど。先述の自然保護についてのレポートも、日本語がすごくうまくてお手本みたいな文章の子でも、「この子は多分自然環境に興味がないんだな」ってことがなんとなく、わかる。

同僚のK先生もわかるって言ってたから、文章ににじみ出る何かがあるのかなぁ。

 

それって日本人が書いた文章を読む時も同じだよねって思う。

日本人の作文を指導添削という形で読んだことはないけれど。なんか人を下に見てるよね、とか、文章にまじめに向き合ってるよね、とか多分わかるんだと思う。

ちゃんとまじめに向き合わなければ。。

 

学生が、「中国では高等な語彙を使うと作文の評価がいい傾向にある」って言ってたんだけど(たぶん学生たちは言い訳のつもりでこの話を持ち出した笑)、わたしの考えではそれって、中国ではの話じゃなく、「小中高の教育では」の間違いじゃないかと思うんですよ。

小中高の作文は、子供が大人に読んでもらうために書くから。

子供の作文は、どんなテーマであれ普通は大人に及ばないはずで、相手は常に自分より高度な語彙を持ってるはずだからね。

でも大人が大人に読んでもらうための文は、抽象的で高度な語彙を使えばいいってもんじゃない。専門外の人にもわかってもらうために書くんだから、無理に高度な語彙を使うよりは例をつかってわかりやすくしたほうがいいよ、

そんな話をこのあいだしました。

べつに、わかってもらわなくていいなら、文章を書く必要がないんだ。

 

だから…わかってもらえる授業をしたいものだよね。

 

今日はもう寝ます。おやすみ、明日も忙しいんだ…。