おしんこ盛り合わせのサラダボウル

中国を愛しすぎてる日本語教師おしんこが異文化で奮闘するブログ

夢は大きく!


家の中でも息が白い。おしんこです。


今、趣味で中国語の本を日本語に訳しています。
中国の民族について興味があるんですけど、日本語のものを探すとめっちゃ高いので、中国語を直接読んでるんです。
で、読むのはいいんだけど、読み直そうとしても、ダイレクトには自分の頭に入ってこなくて、暗号のような感じなんで、ワープロに文字を起こしているというわけ。
訳した文をブログにアップしたいけど、著作権があるし、わたしは翻訳者でもなんでもないんで、やったら怒られるんですよ。当たり前だけど。
そんなわけで、ブログにアップしても怒られないように、翻訳者になりたいですね。理由が不純かもしれない。
HSK6級を取るのが先決だけどさ…。

むかしハリーポッターの自分訳をホームページに乗せてた人がいたなぁ〜。

翻訳者…
翻訳の世界で活躍してる人は50代くらいの方が多いらしい。
翻訳は反射能力じゃなくて蓄積された知識の戦いだから。

いつか、いつかね。
中国の民族とか、紅楼夢とか、紅学の本とか、…。日本に紹介したいものってたくさんたーくさんある。
隣の国のことなのに、わたしたちは、全然知らないで生きてきた。本当に。




おしんこは相変わらず病んでいて、また時々悟りを開けそうなレベルの深い瞑想に入っていますが、こういう目標ができると少し楽しくなるね。
いつも自分の今までの罪に縛られて、こんな罪の多い人間なら俗世は捨ててしまったほうが、と思わない日はないんだけれど、目標があると死ぬのが勿体無く感じる。自分の培った知識と経験だけは誰も犯せないから。
昔わたしは小説家になりたかった。でも今ならわかる、そのころも今も、まだ知識と経験が足りなすぎる。
知識と経験なくして書いた文章はきっと「自分がこれまで読んだ文章の切り貼り」にしかならない。
なにかを表現したい気持ちがあるのに、うまく文章として構成することができない。
というかわたしの場合は絶望的に一つの作品と向き合う能力に欠けているのかも。飽きっぽいからさ。笑

思えば自分がこの25年を通じて大事にして来たものは知識以外になにもない。だからわたしを助けてくれるのは知識だけだ。
大事にしてこなかったものから大事にしてもらえるはずがないのだから。


なぜか知らないけど、中国について書く時より、病んでるときのほうがアクセスがある。
ならばいっそずっと病んでようかな、なんちゃって。

中国のことより、精神不安定なことのほうが、日本の人たちの共感を集められるってことなんだろうか、
だとしたらそれはとても悲しいことだよね。